沖縄県からの派遣教師(289日目・5日付け/ボリビア)

長濱良起

2010年02月14日 12:43



今日で、長い事お世話になったのぶこさんをはじめ、オキナワ村第二コロニアともお別れです。

第二コロニアは、第一コロニアに比べてお店も建物も人の数も圧倒的に少なかった事から、当初は数日間だけいてまた第一に戻ってくるつもりでいました。
しかし第二のみなさんに良くしてもらって、色んな所に連れてってもらって、ってしているうちに、僕は結局最後の最後まで第二コロニアで時を過ごしていたのでした。

のぶこさんともお別れです。


これから交通機関のある第1コロニアへ向かい、それからバスを乗り継いで街まで行こうと思っています。
近所の井上さんに第1コロニアまで連れていってもらいました。全く、最後の最後まで僕は助けられてばかりです。本当にありがとうございました。


第二コロニアから第一コロニアへ着きました。

今日街まで行って、長距離バスにでも乗ろうと考えていたのですが、最近の雨で今日はバスが出ていないという事を知りました。今日の朝はここに来て初めての大雨がありましたし、ちょっと前は「大雨の影響でマチュピチュ行きの線路が閉鎖」という報道も日本でされていたと思います。南米は雨季です。


しょうがないので今日は第一コロニアに一泊する事にしました。
第一コロニアをうろちょろしていると、背後から声が。「旅人ですか?」

声の主はJICAの派遣でオキナワ村に来ているというみゆきさん。専門は保健師です。僕が明らかに浮いていたため声をかけたとの事。やはり、大きなバックパックで見慣れない顔、しかもあまり見かけない20代前後の年代となれば僕は浮いてしまっているそうです。

色々話していて、今夜寝る所の話になりました。「これから宿行こうと思ってるんですよ」。
するとみゆきさんは「泊まるトコならいっぱいあるのにー」。


まぁ、それは知っていました。
これまで知り合った人に電話をかけたら「じゃあおいで」と優しく言ってくれるのは分かっていましたが、あまりに世話になりすぎたと感じていた私はその結果「普通に宿に泊まる」という選択をしたのです。

みゆきさんは続けます。「名嘉先生にお願いしてみます?」


名嘉先生とは実はちょっと前に会った事があります。
名嘉先生は、沖縄県からの派遣教師です。沖縄県がオキナワ村に任期制で教師を送り込むことで、お互いにいい影響を与えようというのが狙いのようで、名嘉先生もそんな派遣教師の1人です。彼自身も旅好きで、最近まで休みを利用してブラジルへと旅をしていました。なので名嘉先生自身がウェルカムオーラ全開ですし、前に話しした時も面白かったので、僕が「お願いします」とみゆきさんに返事をするまで時間はかかりませんでした。


名嘉先生はその時、僕らがいる所からちょうど近くの食堂にいるとの事。早速向かい、合流しました。
すると名嘉先生はすでに、オキナワ村を訪れた別の旅人を連れて食事をしているではありませんか。

「長濱さんが家に来てくれたらなぁって思ってたから嬉しいよ!」
と、快く僕を受け入れてくれました。

 名嘉先生。
沖縄を出る時ぐらいにもらった幕を部屋に大きく飾ってある。


名嘉先生の家に荷物を置かせてもらい、僕は毎週あるという三線教室に行ってみる事にしました。

写真一番左が、最初に声をかけてくれたJICAのみゆきさん。


2人のおじぃが先生です。
三線教室というか、三線の同好会とか集まりとか、そんな雰囲気です。
僕は一応三線を持ち歩いて今まで旅を続けていますが、沖縄で三線をもともと弾いていた訳ではなく(むしろエレキギターばかり弾いていた)、多分こんな感じかなーと適当に弾いていましたので、たとえ同じ曲を弾いていても僕なりのやり方とちゃんとしたやり方の間に差があったりして楽しかったです。

 上の世代から伝わっていく。



そして、歓迎会的な意味も込めてくれたのか、みんなで村に1つのカラオケに行きました。

左から私、新任の学校の先生伊波さんfromうるま市、名嘉先生、旅人のぐみさん



名嘉先生の家には、写真右端の旅人、ぐみさんも一緒に泊まります。
同じ部屋で僕と彼は、電気を消した後も語り続け、時計は深夜の2時を回っていたのでした。



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