09年4月23日から10年12月30日までの617日間、日本を含めた世界を一周! 国家や宗教に対した凝り固まったイメージから抜け出し、 「そこに住む普通の人々」や「人々のつながり」なんかを紹介していきます。 毎日もれなく綴られた記事総数770オーバーの物語、是非是非お楽しみください!


  
【左】公式website「世界一周!沖縄 浦添市民・長濱の 絆をつなぐ旅!」
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【右】新blog!!「世界一周を終えた人が出版するまでを、みんなで見張ろう」
http://nagahamayoshiki.ti-da.net/

そしてなんと、2011年5月25日(水)に出版しました!
旅を終えて振り返ってからの全編書き下ろし!このブログとも連動して楽しめます!宜しくお願いします!

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2011年01月14日

旅を終えて~エピローグ~


旅が終わりました。


2009年の4月23日に出発した僕の旅は、2010年の12月30日に幕を閉じました。

出発した日の事は今でも鮮明に覚えています。
家を出てドアを閉めた時、「今度この家のドアを開ける時はちゃんと旅をしっかり終えてからなんだな」と心の中で小さく思ったのを覚えています。

不安はありませんでした。
いや、きっと少しぐらいはあったんだと思いますが、でも記憶に残っていないのでその程度だったのだろうと思います。
それよりも、僕は旅に出る事で目の当たりにする未知の世界だったり、新しい体験や発想、感覚、そしてこれから世界中で会うであろうたくさんの出会い、それらが楽しみで仕方ありませんでした。

そして、旅を終えて帰ってきた自分はそんな風に変わっているのだろうという、新しい自分との対面も楽しみでした。



僕は、あの頃の出発前の自分に報いているだろうかと今考えます。





答えは「報いている」です。




僕は今、心の底から「行って良かった」と言い切れる事が出来ます。



今回の旅を通して僕は、体験して初めて分かる事にたくさん触れたり、たくさんの人々と出会ってその出会いの数だけ新しい喜びを感じることが出来ました。そしてそこには異文化の中で分からない事もたくさんある中、大変刺激のある毎日を送ることが出来ました。そしてその中でたくさんの事を学ぶことが出来た。

ここで得た知識経験は、今後の僕の人生を豊かにしていくものである事に1mmの疑いも持ちません。
そして、僕を育んでくれたこの社会に出来る限り優れた形で還元していかなければならない、という気概はあります。


世界中に友人を作る事ができたのもとても大きな事でした。
世界中の色んな場所にまた顔を出す理由が出来た。「はじめまして」ではなくて「久しぶり!」「ただいま!」と言えるような場所をたくさん作る事が出来ました。
そして、旅先では日本人のみなさんともたくさん出会う事が出来て、日本全国にも「お久しぶりです!」「お世話になりました」と言えるような人間関係がたくさん築けました。


本当にたくさんの人に助けてもらいました。色んな場所で色んな人に、思い返すと恥ずかしいぐらい助けられました。助けられた分、僕は誰かを助けなければいけないという気持ちにさせてくれました。


そんなパターンの1つではあるのですが、
昔から知ってる友人が海外に住んでいる場合には、そこを訪れて再会の楽しさもあると同時に、彼ら彼女らでの海外での生活ぶりも大変興味深く眺めたりする事が出来ました。そして実際住んでいる友人なんかから聞く話はやはり深みがあって面白い。自分だけで旅をする以上にたくさんの事を知る事が出来ます。また、そこの地元の人なんかを紹介してもらったりという事も多々ありました。

そういう理由もありますし、旅中という事もあって、場合によっては女性の家にも時折泊まったりさせてもらいました。
通常、元々の友人知人とはいえ、男がノコノコ女性の家に上がり込むというのはマナー違反であるという事は分かっていますし、その辺どこかで誰かに迷惑をかけているかもしれないな、という気持ちもありますが、僕はその辺安全な人間だという事でこの場を借りてお断りもさせて頂きます。




また、簡単な所では、これまで実家で生活していて、身の回りの事なんかほぼ親に任せっきりで生きてきた中、自分の事を自分でするという当たり前の事が当たり前になったのも、恥ずかしながら一応ここに書ける事ではあるのではないかと思います。
炊飯器の使い方を覚える前に鍋で米を炊く方法を覚え、洗濯機の使い方を覚える前に手で洗濯するという方法を覚えたという事は、今まで当たり前にあった便利さという事をいくぶん客観的に見ることができるようになったと思っています。






違う角度、様々な角度から何かを見る時に、また違った側面が見える事が出来ます。
この「角度の幅」が上下にも左右にも近くにも遠くにも広がった事は紛れもない事実です。

そして同時に「外を知ることは内を知ることである」という事に気付かされました。

何かと何かを比べてからではないとその違いが見えて来なかったりもします。
今回は比較対照物のバリエーションがグーンと広がった事によって、「外Aと内」「外Bと内」「外Cと内」「外なんとかと内」みたいに、たくさんの見方を「内」に対して出来るようになりました。

「真横から見たら長方形にしか見えなかったし、真上から見たら円にしか見えなかったんだけど、角度を変えて見てみたら、なーんだ、簡単だね。これはドラム缶だったんだね」
みたいな、なんで今までこんな簡単な事にも気付けなかったんだろうという局面もたくさんありました。






性格だったり見た目だったり気質だったり、そういうのってたった1年9ヶ月の旅では大きく変わる事はないでしょう。
帰ってから友人らにたまに「なんだ、人格ごと変わったりしてるのかなーとか思ってた」とか言われましたが、僕は僕のまま、僕です。

ただ、ダシがいっぱい出て効いているようにはなっていると思います。

煮込めばたくさんのダシが出てくるぐらい、僕はたくさんの事を感じ、吸収してきたつもりです。




これまで、旅をしていて思った事を書きましたが、実はもう、旅が実際始まる前から僕は旅をしている気持ちでした。

旅に出る前、学生時代にバイトも掛け持ちしながらお金は貯めていましたが、世界一周に出ようと正式決定したのが結構遅く、大学4年生の始め頃でした。資金的にもまだ必要額の3分の1ぐらいでした。

卒業したらまぁ、県外の工場ででも働いてまとまったお金を作ってそれから旅に出よう、
とそう考えていましたら、かつての担任の先生の「この旅をお前一人の旅にするのはもったいないよ」という助言もあり、僕は今回の旅を僕だけの個人的な旅ではなく、おおげさかもしれませんがある種のプロジェクト的なものにしていこうという方向にシフトする事にしました。


メディアに出演して自分がやろうとしている事をどんどん外部に発信していったり、
旅先の事をきちんと毎日分ブログの記事にして自分なりの切り口で伝えていったり、
旅が終わってからもその後の講演なんかで還元できるものはどんどんしていったり、
高校生ぐらいの若い世代の前例になる事で、沖縄の中で生きようが外で生きようが、でも興味があれば一度は外を見て欲しいっていう思いもありました。特に沖縄みたいな小さな所ってそうだと思う。


「そういう目的で僕は旅に出ようと思います。沖縄を少しでもよくしたいです」
という、今考えたら漠然極まりない失礼な事を言ったまま、僕は様々な企業に企画書を送ってアポを取り資金提供や貸付のお願いをして回りました。


正直、少しでも足しになったらそれでいいと思っていました。
人様のお金を使うという事に関して抵抗が無かったかと言われたら、もちろんそれなりの葛藤はありました。


そんな中始めた資金調達は上手くいく事だらけではなく、厳しいお言葉を頂戴する事も時にありましたが、しかしそれでもこんな僕に協力して頂ける方が多くいらっしゃった事に僕はただただ感動しました。

「長濱君!頑張れよ!」
「こんなもんしか援助できないけれど」
「帰ったら話たくさん聞かせてね」


旅に出る前から、僕はもう新たな出会い、優しさ、期待してもらう事の嬉しさ、そういったものの連続でした。

新しい世界がたくさん見えました。そういう意味で、僕の旅はもうこの時点で始まっていたのかもしれません。


目的に向かってひとつずつ問題をクリアしていって、積み重ねる事の大切さだったり、とりあえず根拠の無い自信を持ってやってみるという事の大切さも、ここで深く再確認する事が出来ました。



資金面はもちろんですが、その面に限る事なくたくさんの人々の支えの下、僕は今回の旅を無事に終える事が出来ました。
さっきのダシの話ではないですが、世界中から取って吸収してきたダシを、今度の人生かけて出来るだけプラスになるような形で熟考しながら放出していく事こそ、一番の恩返しになると確信しています。


この文章の冒頭で「旅は幕を閉じた」という風な表現をしましたが、広い意味での僕の旅は終わりません。

実際に今回のこの「世界一周!沖縄・浦添市民 長濱の 絆をつなぐ旅!」と銘打った旅は終わりました。

しかしこうやって旅を通して得た新しい視野や発想、欲求は、今後に向けてさらに大きな原動力となると思います。

興味の対象が広がる事で自分の無知さに気付き、様々なものに出会う事で自分の小ささに気付きました。
その「無知さ・小ささ」に気付いて、そこから始まる貪欲さこそが原動力につながると思います。そしてその原動力を生かして、「ダシ」をどんどん絞りだしては吸い、搾り出しては吸いを繰り返していけたら是、本望です。





話は変わりますが、世界一周は別に偉業でも何でもありません。
これは色んな長期の旅人が揃って言う言葉ではありますが「やるかやらないか」。それだけの話だったのです。

もちろんハードルはあります。
だいたい1年で100万円ぐらい必要とされる金銭面の問題はもちろん、場合によっては周囲の説得から入らないといけないかもしれません。情報を集めてやるべき事を整理する期間も必要でしょう。

でもでも、一言で片付けられるとしたら「やるかやらないか」それだけです。

別に海外を旅するという事は怖い事ではありません。
1歩目を踏めばもう2歩目3歩目は簡単です。処世術もある程度必要になってくると思うのですが、でもそこまで特別な事は要求されません。


「東京は怖いところで泥棒しかいないから毎日電話するんだよ」という田舎のおばあちゃん
「日本は過労死も自殺率も高くて、オマケに地下鉄ではサリンのテロがあるみたいだよ」と心配する外国人


これらを読んでおそらく大半の人が滑稽だなぁと感じたと思います。

でも、外国に行く事もそれとは大差ありません。意外と簡単な事だったりするのです。僕みたいなのでも行けました。
もちろん、日本が安全な国である分、ある程度の注意は必要になってくるのだと思いますが、でも上の2つの例にも例えられる位の感覚である事もまた確かな事です。


もしこれを読んでいるみなさんの中で、やってみたいんだけどなかなか1歩目が出ない、という方がいましたら、僕が今書いた事を思い出して頂けると嬉しいなと思います。




最後になりましたが、感謝の言葉を述べて締めさせて頂こうと思います。

出発前、色んな力になって頂いて支えになってくれたみなさま
資金を提供して頂いて旅を確実なものにして頂いたスポンサーのみなさま
道を教えてくれた人からお家に泊めてくれた人まで、旅中に僕を助けてくれたみなさま
旅をしている時の旅人仲間のみなさま
そのほか僕の旅の登場人物になってくれたみなさま
帰ってきてからも僕に各方面から手を差し伸べてくれたみなさま
旅を終えてからも僕から楽しみを失くす事の無い友人知人のみなさま
心配をかけましたが待っていてくれる家族親戚のみなさま

そして、それでも僕を送り出してくれた両親に一番のお礼を述べたいと思います。


本当にありがとうございました。




2011年1月14日
日中は半袖で過ごせた日に、沖縄県浦添市宮城にて。

長濱良起




追伸:
これからの活動に関しては、

ブログタイトル:「世界一周を終わった人が出版するまでを、みんなで見張ろう」

旅を終えて~エピローグ~
http://nagahamayoshiki.ti-da.net/

で紹介していきます。引き続き宜しくお願いします。





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