今日は、早朝からイスラエルに行く予定だったのですが、アレンが体調を崩してしまったため延期です。
しかしまぁ、
アンマンは、坂が多い。
坂の町として知られるサンフランシスコ以上に多いんじゃないかと思います。
アジア系の移民もなぜか多いです。観光客も多い。
先日は、イスラム教徒のインド人と道で会って「ヨルダンにピクニックしに来た」と、とてもお茶目な回答を頂きました。ありがとうございました。
イスラエルとも近いので、パレスチナ人も多いです。中東戦争で難民となって逃れてきた人々が、ヨルダンで暮らしているのだそう。
宿である日本人のお客さんが、ヨルダン人のスタッフにイスラエルの地図を見せて「パレスチナ(自治区)ってどこ?」と聞くと「え?全部だよ?」と返ってきました。
こっちの人からすれば、一時占領されているという感覚なんだなぁと思いました。
イスラム教とキリスト教は対立していると思われがちですが、全然そうでもないことに気付かされます。
街中でも「オレはキリスト教徒だよ」っていう人もたくさんいるし、モスクに混じって教会もよく目にします。
分かりやすいのは、この絵です。
わかりにくいですが、これです。
まぁこれはシリアでの話ですが、絵の中にもイスラムのモスクとキリストの教会が仲良く並んでいるのが分かります。
しかし、パレスチナ問題もあり、なかなかユダヤ教の人々(ユダヤ人)とはまだ足踏みが続いているのかなぁ、とそんな印象です。
基本的に宿でまったりしているような、そんな日でした。
この宿の名前は「マンスールホテル」といいますが、もう1つ実は名前があります。
「香田ホテル」という名前です。
戦時中のイラクで過激派の組織に拘束され、命を失ってしまった1人の日本人旅人、香田証生さんがいます。
彼は、イラクに行く前、ここアンマンのとある宿からイラクに向かいました。
彼は、アンマンでイラクへ行く方法を見つけたのです。
建前上は「この国籍の人はこの国へは入れない」ってなっていても、正直言うと、実際は抜け道があるものだったりします。
その時、宿の従業員が彼のイラク行きを必死に止めたのだといいます。戦時下のイラクです。命を落とす危険があります。
しかし彼はその従業員の説得を振り払って行きました。
少し話が変わりますが、
当時の日本の報道では「遠足気分で行って、命を落とした軽率な若者」という描かれ方がされていたと思います。
それは違うと言いたい。完全に違うと言いたい。
決して香田さんは「遠足気分」ではなかった。
彼もまた、旅人でした。
テレビや新聞で目や耳にする事と、実際の世界が全然違うことを知ってしまった人間の1人でした。
中東まで来たら、イラク戦争のリアルな話もよく聞くでしょう。無力な人々がどんどん命を奪われていった話もよく聞いたと思います。彼はきっと、戦争というものがどういう事かちゃんと見たくて、感じたかったんだのではないでしょうか。日本にいたままでは絶対に知ることの出来ない現実を「知りたい」どころか「知らなければならない」、そう思ったのではないでしょうか。
そして彼の場合、それが自制心を上回ってしまった。
決して遠足気分ではなかった。
結論から言うと、彼は命を落としてしまいました。
命を落とす前のビデオには「すいません」と言っていました。迷惑をかけてすいません、と。
日本では「自己責任だ、自己責任だ」と言っていた。
しかし彼は、自分のためだけにイラク行きを決意したわけではなかったと、同じ立場になった今、言い切れます。自分のためだけじゃない。もっと広い視点でものを考えていたんだと思います。
「自分のために行って自分で危ないところ行ったんだから・・・」ではないと思った。
戦争という最悪に悲しい現実の裏で、自分に出来ること、知れること、それに挑戦した1人の若者だと思います。リスクは知っていたはずですが、その矛盾を抑えきれなかったのではないか。
彼の行動を完全に支持は出来ません。
危ないと分かってて行って、自分1人のものではないかけがえのない命を落としたし、
彼がイスラム圏で殺害されたことによってイスラム圏の印象がとても悪くなった。
でも、なんだか彼のことを否定出来ないのです。カッコイイとすら思える。
また、彼は「日本国民のみなさん」に「ご迷惑をかけてすいません」と言った訳ではありません。
ただただ、身内、特に両親にすいませんと言っていたんだと思います。心配かけて申し訳ありません。もしかしたら先に死んでしまうかもしれない、本当にすいません、と。
家族親戚や友人知人に申し訳ないと思った、純粋にそれだけだと思っています。
彼を止めた従業員は、彼の死後「自分が止めていればあんな事にはならなかった」と悔やみました。自分が新しい宿を作ったら、香田さんの名前を取って宿の名前にしよう。
彼は独立してアンマン市内に新しく宿を作りました。
それが、今まで僕が泊まっていたマンスールホテル、またの名を「香田ホテル」と言います。