空き時間があると水汲みにいきます。
やっぱり水道がないこの地域においては、
水汲みというのはいわばライフラインの確保であり、やればやるほどOKな仕事の1つです。自転車の荷台にトータルで60kgのタンクをくくりつける事もあれば、20kgのタンクを肩や頭に載せて運ぶ事もあります。いずれにしろパワー系のハードな仕事です。それで1kmぐらい歩きます。
ここでボランティア人員がいる事のメリットが分かりやすく出るような仕事でもあります。
エチオピアの水質管理の場所を訪れた時にも書きましたが、
水道代は「水」にお金を払っている訳ではありません。家にいながらにして
蛇口をひねれば水を手に入れられるという状況、キレイな水を手に入れられるという状況、それにお金を払っているのだと実感できます。
考えたら当たり前の事なのですが、
この便利な状況が普通になってしまっているとそれさえにも気付かなくなっているのが怖い。水道代を払わなわければ、僕らはキレイな水源を自分で探して自分で水汲みに行って、おそらくそこにたくさん来ているであろう人々に紛れて順番よく並ばなければなりません。
「水代」ではなくて「水道代」であり、もっと言うならば「キレイな水に簡単にアクセスできるための便利代」です。
しかしここにはそのインフラが整っていないため、村の人々は近くの泉に集まります。料理のため、洗濯のため、飲用のため、体を洗うため、さまざまな理由で人々は水が必要です。
例にも漏れずもちろん僕もその一人です。
近くの泉に行くと他の人もたくさんいますので、そこは地域の憩いの場です。
この前の記事に登場してきた
17歳の妊婦グレスは、また今日も泉にいました。僕は彼女のおなかの中の赤ちゃんの名前はバッドゥルって事を知っているので、もはや周りの人に「おなかの子はバッドゥルっていうんだよ」と逆に紹介できるまでになりました。
そんな泉から死にそうになりながら水を運び終えた時のことでした。
運び終えた水を、NEWTOPIAに備え付けの100リットルタンクに移し変えている時です。シルビア校長が僕に
「また泉の方に戻る?」と聞いてきました。おそらく、数人で水汲みに行ったのに、僕だけ先に戻ってきたのでそう思ったのでしょう。
そう聞かれたら僕は聖人君子の菩薩ですので「多分また戻ります」としか答えきれません。すると校長
「もし戻るんだったら水を備え付けのタンクに移し変えて、もしそうじゃないのであれば別の使い道で使うから移し変えないでそのままにしててね」。
長濱良起、
そう言われている真っ最中、思いっきり水を移し変えています!!
選択肢を2つ与えられながら、もはやその選択肢が「泉へGO BACK」しか無くなってしまった僕は、ヘトヘトになりながらまた20kgの水を持って1kmぐらい歩くのでした。
でも、この水汲みは気持ち的に貢献度が一番分かりやすいっちゃあ分かりやすいので、達成感はあります。
さて、このウガンダ(ウガンダ語話者地域)では、
双子で生まれた時点でその子の名前は決定です。
男の子の場合でしたら、双子の兄ちゃんが「ワスワ」、弟が「カトゥ」。僕は現に双子の兄ちゃんとして生まれていますので、長濱ワスワ、という事になります。
ちなみに双子の両親もニックネーム的に新しい名前をもらえます。双子の親は一種の尊敬の対象になるようで、
父ちゃんが「サロンゴ」母ちゃんが「ナロンゴ」。なので、僕の家庭の場合ですと、父は長濱サロンゴになり、母は長濱ナロンゴと、こうなるわけですね。